自分と向き合うこと

過去を思い出して、自己分析してみました

過去を振り返り「自己分析」してみたら・・・中学生時代

大人しい子供は無能なんかじゃない

 

中学生になっても私の性格はあまり変わらず、大人しいままでした。

勉強を頑張る気持ちはあるのに、勉強に集中できない。なぜあんなに勉強に集中できなかったのかわかりません。

いつも人の目ばかり気にして、「嫌われたくない」「ドジなことをしないようにしなければ」「好かれたい」そんなことばかりを気にしていたのでしょう。

それとは反対に、周りからは影の薄い人になっていきました。

 

影が薄かった私

 

ある体育の授業で、女子だけでバスケットボールの試合をすることになり女子を2組に分けることになり、リーダーシップを取っていたAさんが2組に分けて名前を読み上げていきました。全て読み上げた時に私の名前が無かったのです。存在が薄かったとはいえ、ショックでした。すると誰かが気づいてくれて言ってくれましたが、Aさんは悪びれた様子もなく、他の子と目を合わせて嫌そうに「あ~じゃあこっちに入って」と言いました。Aさんに対して嫌な気持ちはありましたが、それ以上に自己嫌悪に陥りました。「どうして私は忘れられてしまうのだろうと。」「どうして私は自分の思うことを言えないのだろうと。」

 

同級生と比べられ落ち込んだ日々

 

中学生になり背も伸びて体が成長し始めた頃、母や姑から言われた言葉に落ち込んだことがありました。

「同級生のAさんは、胸も大きくなって成長しているのに、うちの子は全然成長しないね。生理も遅いし。」

口喧嘩が絶えない母と姑が私の話題で仲良く話していました。

それは私にとっては悪口にしか聞こえませんでした。

親から言われると、悲しくなりますね。でも反発できない。

それまでは、自分の体形について疑問も持たず、特にコンプレックスなどは無かったのですが、その時から自分の体形がコンプレックスに変わりました。

母からは、聞きたくありませんでした。姑からもは、聞きたくありませんでした。

 

歪んだ感情はなかなか修正がきかない

 

歪んだ感情は、日々生活の中で生まれてしまうものだと思います。

言葉はとても重みがあります。軽々しく口にしたことが、ある人にとってはすごく辛く悲しい言葉に感じられる。感じ方は人それぞれ。「前向きに」とか「細かいことは気にしない」と言われても当人にとっては何の励ましにもならない。

 

大人は子供の人格を大切にしてほしい

 

きっと、子供の人格や性格を作り出すのは大人の言葉や行動だと思います。子供を持つ親御さんや、子供に接する人には子供には大人と同じ感情を持っていて、子供扱いしないで礼儀をもって話すこと、行動することをして欲しい。

 

その時の自分に言ってあげたい、「自分は自分だよ。この広い世界からしたら、そんなことはちっぽけなことだよ」「人の価値は、見た目だけじゃないから自身を持って生きて」と。

 

私と同じような思いはして欲しくない。

 

読んでいただきありがとうございました。続きは、次回に。

過去を振り返り「自己分析」してみたら・・・小学生時代2

なんとなく習っていたピアノ♪

 

小学生時代の私は、自分から行動をすることが苦手で母親の言う通りに生きてきた気がします。ピアノを習っていましたが、母親に気に入られようと習っていたのでしょう。

 

自宅での練習が嫌いで、なんとなくピアノを弾いていた気がします。練習が嫌になると、直ぐに「ねこふんじゃった」を弾いていました。(笑)自宅からバスで40分かかる町へピアノを習いに毎週土曜日通っていました。車酔いが酷く、毎回バスに酔ったものです。

 

数年経ったころ、同級生の女の子が私と同じ教室でピアノを習うことになり、一緒に行くようになりました。なんとなく練習していた私は、あまり伸びませんでした。でも、後から始めた友達は、どんどん上手くなっていきました。

 

同じピアノ教室に通っていた友達と友達のお母さん

 

ある日レッスンが終わって帰ろうとすると、友達のお母さんが一緒に帰ることになりました。友達のお母さんは町で働いていたので帰る時間を合わせたようです。町には、商店街があり色々なお店があって見るだけでも楽しい場所でした。

 

3人でバス停へ向かっていると、友達のお母さんが急に子供服のお店に入り、友達に洋服を選び始めました。そこには私が見たこともなかった可愛い洋服がいっぱいありました。その店で友達は、お母さんに選んでもらった洋服を嬉しそうに試着していました。私はバス停に先に行って良いのかわからず、ずっと店の前で二人をぼーっと見ていました。本当は心の中で、なぜ自分はここにいるのだろうと思ったことを覚えています。

ピアノの習い事を止める中学生まで、何度もその光景を目にしました。最初は、不満の気持ちがあったのに、時が経つといつの間にか慣れていました。

今思うと・・・

 

あの時、どうして先にバス停へ行けなかったのか。

 

あの時、どうして店の前で待たなければならなかったのか。

 

自分には関係のない買物の時間でも、友達のお母さんに気に入られたいという思いだったと思います。

 

大人に気に入られたい子供

 

そんな私だから、母の親戚が集まる場に行った時大人しくしていると、おじさん、おばさんから褒められました。「お行儀がいいね」「偉いね」とよく言われました。その言葉を聞くたびに、親戚の前では、良く見せようとして背伸びをする自分がいました。本当の自分は子供同士で遊びたいし、お手伝いなんか本当はしたくないのに、母の機嫌を取るために良い子でいました。

 

恥ずかしくて情けないお風呂事件

 

小学校高学年のある日、親戚も一緒に海へ行くことになりました。夕方になりお風呂に入る時間になりました。民宿には何家族かが集まったので、お風呂に入る時間を短時間にしなければならないため母が「お父さんと弟と3人で早く入って」と言いました。

 

私は、その頃お風呂に入るのは一人で入っていました。母と入るのは良いですが、父と入るのは抵抗がある年でした。でも、母は「早く入りなさい」と怒鳴りました。きっと、親戚の手前早く入らなければと思ったのでしょう。私は、母に言いました。「お母さんはお風呂どうするの?」「私も入りたくない」と。

 

でも、母はまた「とにかく早く入って」と怒鳴りました。渋々脱衣所で服を脱いでいると父と弟がお風呂に先に入りました。父と入るのが嫌だけど、母に怒られるからしかたなく入ろうとした時に、いとこにその瞬間を見られました。するとそのいとこが叫んだのです「えーお父さんとお風呂入ってる!恥ずかしい!」

 

そのいとこは、私と正反対の性格で、明るく、意見をはっきり言える子。体も成長が早く、女の子らしい体つきになっていました。私は、嫌々お風呂に入ったことを後悔しました。恥ずかしくて情けない気持ちになりました。でも、そんな気持ちを誰にも言えず、母に逆らうこともできませんでした。

 

もし、母がそんな気持ちをわかってくれる人だったら、私の性格も小学生で変わっていたのかもしれませんね。

 

もし、同じような経験をして辛い思いをしている人がいればぜひ、コメントしてください。少しくらい力になれると思います。私と同じような思いはして欲しくないです。

 

 

 

今日の「自己分析」はここまで。

読んでいただきありがとうございました。

 続きは、次回に。

 

過去を振り返り「自己分析」してみたら・・・小学生時代

私は二重人格なのでしょうか

 

私は、周りから見れば「明るい」「前向き」「穏やか」「優しい」「悩みなんてなさそう」という風に見えるらしいのです。

 

ですが、本当の自分は全く違うと思う時があります。今まで本当の自分と向き合うことが怖かったのか、自己分析をしたことが無かったので、今やってみようと思いました。

 

私は本当はどんな人なの?

 

私は、本来は「短気」、「臆病」、「怖がり」、「嫉妬」、「妬み」、「面倒くさがり」、「怠慢」、「後ろ向き」、「八方美人」、「自己中心」な人だと思うのです。

 

なぜなら、発言や行動をする時に心の中で「本当はこう思うけれど、理想はこうだからこうしなければならない」というような考えが頭の中にあるからです。

 

なぜそうなったのか、自分の幼少期を思い出してみることにします。

 

私はいじめられていました

 

家族構成は、両親、弟、祖母の5人家族でした。

 

私は、2つ下の弟がいます。姉として良い子でいなければというような感情が芽生えたのは小学生の高学年くらいからでしょうか。

 

その頃の私は、なぜか心が空っぽだったような気がします。その時の感情を思いだそうとしても思いだせないのです。

 

ある日、道徳の時間に「いじめ」について話し合うことになりました。

 

幸か不幸かその日まで自分がいじめられているということに全く気付きませんでした。

 

その日から知らぬまに自分の中に「人間不信」のようなものが生まれてしまったのかもしれません。

 

道徳の時間は、これまで経験したことのないような悲しい気持ちになりました。

 

いじめられている人はこの教室にいますか。それは誰ですか。なぜいじめられているのですかという問いに私の名前が上がりました。

 

理由は、不潔だから。髪の毛にいっぱいフケがあって、服についているから。

 

母にはもう少し早く気づいて欲しかった

 

その日、帰宅したら母は別棟で内職をしていました。

 

母に、「今日学校でいじめられてるって言われた。フケがいっぱいだって。」と恐る恐る言いました。

 

母は、すぐさま私の頭を見て「何してるの?髪の毛洗ってる?汚い!」って怒鳴りました。

 

その頃の生活といえば、父はお勤めと農業の兼業をしていて、祖母は近くの工場へパートに出ていました。母は、内職をしていました。

 

あまりよく覚えていませんが、お風呂には毎日入っていましたが髪の毛を洗うのは

三日に一回くらいの割合だったような気がします。小学校の高学年にもなれば一人でお風呂に入るし、適当に体や髪の毛を洗っていたのでしょう。

 

でも、母にはもっと早く気づいて欲しかった。

 

母はその頃、姑と折り合いが悪く。よく、口喧嘩していました。父はその喧嘩を知らんぷり。間に立つ私には、母から姑の悪口を聞き、姑からは母の悪口を聞き、間に挟まれいつのまにかどちらにも良い顔をするようになったのでしょう。気づかないうちに。

自分の意見を上手く言えない私には、じっと聞くことしかできませんでした。

 

自分は、「不潔」「大人しい」「頭が悪い」「のろま」と周りからうっとうしいと思われていたのだと思います。

 

その頃から、人に嫌われないようにしよう。好かれるようにしよう。と、いつも背伸びして生きてきたような気がします。

 

もし、同じような経験をして辛い思いをしている人がいればぜひ、コメントしてください。少しくらい力になれると思います。私と同じような思いはして欲しくないです。

 

今日の自己分析時間はここまで。

続きは、次回に。

 

 

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

料理のブログも載せていますので、ぜひご覧ください。